第五回:脳を科学する
第四回までで取り上げた内容について、より詳細な効果や反応を理解するためにもう少し科学的な文献を調査しながら脳の動作や脳の周辺から受けるインパクトと反応について考察して見たいと思います。
語学学習をする上で、脳を科学する事が無意味という考えの方は読み飛ばされても結構です。
また、内容が結構専門的になりますので、理解が難しいと思われた方も、特に読み飛ばされても問題ないと思います。
但し、私は脳の自動的なメカニズムを理解する事で、より自分に合った、より効率的且つ効果的な学習法を編み出せるものだと考えています。 この理由により、あえて語学に特化した形で今回のテーマを挙げさせて貰いました。
これを考察する為の参考となる本があります。
シャドーイングと音読の科学
これはかなり解剖学的な専門的な内容で解説されており、難度が非常高い為、 私からは特にお勧めはしませんが、理屈っぽい方、情報処理か生理学には結構詳しい、オタク?なんて人には読んでも良いかもしれませんので念のために紹介しておきます。
本題に入る前に、脳神経の記憶の中枢である、ニューロンとシナプスについて、理解できていないと思われる方は、事前準備としてこのサイトでの解説「ニューロン」を見ておいた方がよいかと思います。
では、人間の脳の情報処理の流れについて理解することを切り口として考えてみたいと思います。
参考とした文献では、言語障害者の脳の働きを研究する事で、語学学習への応用を試んでいますが、非常に専門的すぎて理解が難しい状態でした。
しかし、私は情報処理の知識を持っていた為、読み進めていくなかで、脳の言語理解のモデルがあまりにその情報処理のモデルと似ている事に気づきました。
そこで、専門的で難解なこの本の内容をコンピューターの動作に置き換えて解釈する事で、理解を深めたと言う背景があります。
簡単に言うと、コンピューターのモデルがそのまま当てはまると考えて、問題ないです。
他の文献と合わせて、考察し紹介していきます。
まず、脳の機能ですが、これは言語理解に限定して考えますと、理解の処理の中心は前頭前野に集中していると考えられています。

図の頭の前の方ですね。更にインプットとなる感覚器官は頭頂葉(触覚、嗅覚)、側頭葉(聴覚)、後頭葉(視覚)と分布しています。
また、アウトプットしては実際に筋肉を使って、声を出したり、指を動かしたりするので、前頭葉(運動野)を使用する事になります。
以下の表は、本で解説している脳の働きと、それに対応するコンピュータの機能について対比してまとめたものです。
(とりあえあずざーっと目を通す感じで良いと思います。)
人間の脳の機能 |
コンピュータに例えた場合(情報処理上の名称) |
段階 |
機能 |
解剖学的対象 |
分類 |
ハードウェア |
機能 |
インプット |
感覚の入力 |
視覚、聴覚、触覚、嗅覚 |
入力装置 |
キーボード、マウス、カメラ、スキャナ |
入力信号受信 |
フィルター |
ノイズキャンセル |
感覚記憶 |
一時記憶 |
短期記憶 |
分析 |
識別、認識、検索、演算、変換、類推 |
中央演算装置 |
CPU |
演算・比較 |
予測・検証 |
検索 |
データ検索 |
検索 |
音韻符号化 |
変換 |
ワーキング
メモリー |
内語反復 |
音韻ループ
言語情報 |
一時記憶装置
(内部記憶) |
メインメモリ |
リフレッシュ |
音韻性短期ストア |
キャッシュ |
視空間スケッチパッド |
非言語情報 |
エピソードバッファ |
経験・体験 |
長期記憶 |
恒久的記憶 |
メンタル・レキシコン
(心的情報の記憶) |
正書法辞書
音韻小辞書
意味小辞書
統語小辞書 |
二次記憶装置 (外部記憶) |
大容量メモリ、ハードディスク、メモリーカード、等 |
長期保存記憶
データーベース
リレーショナル |
非心的情報の記憶 |
イメージ等 |
アウトプット |
出力バッファ |
発話、書く、タイプ、キーボード、動作、運動 |
出力装置 |
ディスプレー、プリンター、等 |
バッファ |
リハーサル |
(リフレッシュ) |
出力 |
印字、表示 |
ちょっと合わない部分もありますが、出来るだけ合わせるとこんな感じになります。
処理の流れは上から下に向かって流れています。ちょっと理解しにくい箇所もあるかも知れません。
コンピューターとの対比は、私が理解する為に必要だった為書いていますが、コンピューターの知識が無く分からない人は、特に気にする必要はありませんので、念のため。
それぞれの段階について見ていきましょう。
<インプット段階>
これは主に感覚の部分です。「フィルター」とあるのは、感覚は周囲のノイズも拾うが「フィルター」によって必要な情報のみ通す様な機能を持っているという事です。
簡単に言うと、ファーストフードの店内など相当周囲がざわめいている中でも話し相手の声が聞こえる。
(コンピューター装置で言えば、ノイズキャンセラーに当たります。)
インプットされた情報は「フィルター」によって必要な信号だけが選択され、「感覚記憶」で一旦記憶されます。マウスやキーボードでもその装置の中にどのキーを押したか、どの程度押したか等の情報を記憶する場所があるでしょう。それと同じだと考えればよいです。
使用する脳の部位としては、先に説明した通り、
触覚、嗅覚: 頭頂葉 (頭のてっぺん)
聴覚: 側頭葉 (頭の側面)
視覚: 後頭葉 (頭の後部背面)
です。特に、側頭葉と、後頭葉はよく使われる事になります。
ここで、注意しなければならないのは、視覚を司る後頭葉は、言語理解の中心となる前頭前野から一番離れた場所に位置している事と、聴覚を司る側頭葉が前頭前野と後頭葉の間に位置している事です。
<短期記憶段階>
ここでは、脳の動きを中心に区分していますので、こういう表現になりますが、短期的な記憶をしている段階で行われる処理と考えて貰えると分かります。
脳の働く部位としては前頭前野になります。
脳科学の世界では、中央実行系と呼ばれており、考ること、理解すること(文章を含む)、問題を解くこと、記憶処理をする事、等が主な働きと言われています。
(コンピューター的理解をするなら、「CPUに相当する部分」と「メインメモリに相当する部分」が対になって機能し、メインメモリの中に蓄積された情報を利用して色々な演算処理や、比較、変換とかをすると考えればいいでしょう。)
人間の場合は弱いシナプス形成によって短期的な記憶をし、その情報を処理(理解など)しています。
(コンピューターの世界でもこの点においてもほぼ同じ動作だと言えます。)
短期的な記憶をしておく場所の総称を脳科学では「ワーキングメモリー」と呼んでいます。
ワーキングメモリーにも色々種類があり、その中でも言語に深く関わりのあるメモリーは音韻性(おんいんせい)短期ストアと内語反復(サブボーカルリハーサルという)によって構成される音韻ループとされています。
全く聞き慣れない言葉ですが、脳科学上、言語学上の専門用語ですので、仕方がないです。以下に説明します。
音韻性短期ストア:
音情報を音のまま短期的に記憶しておく場所を言います。要するに、聴覚から入った音声情報は、音声情報のまま前頭前野で一旦記憶されます。記憶しておける時間は約2秒間と言われています。
内語反復:
音韻性短期ストアによって記憶された音情報が約2秒間の間に忘れてしまうのを防ぐ為に、頭の中で反復的に復唱することを言います。
(この2つはコンピュータで言うところの、リフレッシュ型メモリーに当たると思います。)
反復しない場合の音韻性ストア内に記憶できる時間は、先に説明した通り約2秒で消失すると考えられていますが、逆に内部反復(復唱)を繰り返す事によって、弱いシナプスの形成が続けば、長期記憶段階に移行させる事も可能です。
長期記憶段階に移行しない場合は、記憶の持続時間は15秒~20秒と言われています。
この事は、例を出すと、英単語を覚えるのに単語カードを見ながら復唱する場合が考えられます。また、電話番号を聞いて、それを忘れないように復唱を何度もしながらダイアルボタンを押している光景などを思い浮かべればわかりやすいと思います。
ここで、勘のいい人は気づかれたかもしれませんが、言語体系は、音韻(音声)として記憶とその他の処理がなされる点です。
そうすると、文字の理解がどうなのかと言う命題が出てきます。
その事について補足するなら、実は言語に関する視覚的情報も、意味理解の段階に入る前に、音韻符号化という処理がなされ、一端音声情報として変換されてから、サブボーカルリハーサル(内部反復)のループに挿入されると考えられています。
例えば電話番号を電話番号長から読み、その番号をプッシュする動作の時に、何度も口ずさみながらプッシュするときが有りますが、そういう事をイメージするとわかりやすいと思います。
視覚情報(文字など)が音声情報に変換されてから記憶処理、意味理解されるというのは、実は冒頭で注意すべき点として述べた、視覚野と前頭前野の間に聴覚野が位置している事からも、シナプス結合と、脳内の信号の流れからして、自然な流れだと考えられます。
但し、速読の場合はイメージのまま処理を進める為、私的には別のシステムも存在していると思いますが、通常プロセスでは、このシステム十分理解できます。
<長期記憶段階>
これは、短期記憶段階に処理された結果を恒久的に保存する場所す。
で、コンピューターのハードディスクの様なものを想像すればいいと思います。
長期記憶段階に入った記憶はほぼ半永久的に記憶されるとも言われますが、実際には「大量記憶術」で述べさせて貰っている様に、記憶をしてもその記憶が取り出せないと言った事も考え出されます。
しかしながら、切っ掛けが有れば思い出す事もありますから、やはり記憶はされていると考えて良いと思います。
「短期記憶」「長期記憶」とも脳科学的には以下のように述べられています。 人間の脳は大きく分けて2種類の記憶から成り立っています.しばらくすると忘れてしまう記憶「短期記憶」と,ほぼ永久的に覚えていられる記憶「長期記憶」です.
すべての記憶はいったん脳の奥の海馬という部位に保存されます.この状態を「短期記憶」と呼びます.海馬内で情報の取捨選択が行われ,これはずっと覚えておかなければならない記憶だと判断された記憶は大脳新皮質に送られます.大脳新皮質は、化学的・電気的刺激を伝達する約150億個もの神経細胞がニューロン(神経回路)とニューロンをつなげているシナプス(神経伝達)で成り立っています.私たちが記憶と呼ぶものはこのニューロンネットワークの情報伝達でつながれたものです.
(抜粋:日宇歯科・矯正歯科 雑学 脳の働き)
この参照サイトでは、記憶のメカニズムをわかりやすく説明されています。
「長期記憶段階」で格納される情報は、個別の情報だったり、データーベースだったりします。お互いのデータがリンクしていればリレーショナルデーターベースと言う事になります。
人間の脳は強いシナプスの形成によって記憶回路を作りますので、シナプスが網の目の様に張り巡らします。そして記憶用の神経細胞は個々が連携して記憶する分散記憶なので、そういう意味では一種のリレーショナルデーターベースを持っているとも言えます。
ここで聞き慣れない言葉として「メンタルレキシコン」というものがあります。
これは、日本語で言うと「心的情報の辞書」とされており、その辞書の種類も、正書法辞書、音韻小辞書、意味小辞書、統語小辞書等がモデル化されています。
意味不明の辞書が沢山並びましたが、要するに知覚信号を識別して意味を理解する為にリレーショナルで結合したデーターベースと解釈すれば一言で済みます。
脳は知覚から入った情報が前処理を終わらせた後の情報を「メンタルレキシコン」というリレーショナルデーターベースを検索し「メインメモリ」に取り込んで意味理解していると言う事です。
因みに、それぞれのデーターベースを簡単に説明すると
正書法辞書:単語の綴りに関する情報(特に漢字などはイメージ記憶にも関連づけられている可能性があります。)
音韻小辞書:単語の音(発音)に関する辞書情報。
意味小辞書:単語の意味に関する情報(但し、体験を伴っている事が多いのでエピソード記憶と関連づけられている場合が多い)
統語小辞書:統語つまり文法に関する辞書情報。
となります。
短期記憶段階の視覚情報について、説明をしていますが、視覚入力はメンタルレキシコンの正書法辞書を利用して音韻符号化され、聴覚情報と共に、意味小辞書、統語小辞書を使って理解する事になります。
<アウトプット段階>
これもインプットと基本的には順番が逆になっているだけですね。
活動する脳の場所は、主に運動野と言う事になりますが、連動して聴覚野と視覚野も活動的になると思います。(理由は後で)
アウトプットが必要な場合は先に説明した<短期記憶><長期記憶>段階の処理をして、最終的にアウトプットすべき場所へ信号が送られると言う事です。
但し、アウトプットに関しては、表では説明していませんが、アウトプットした内容が正しくアウトプットされているかを判断する為に、アウトプットしたものをもう一度インプットして比較すると言うループが発生します。
丁度短期記憶段階で説明した「音韻ループ」と似た状況が発生する事になります。
音韻ループ(サブボーカルリハーサル)とメンタルレキシコンの関係について、以下に図解しておきます。

この図で示す通り、聴覚から入った音声情報はそのまま短期ストア(海馬)に入り内語反復を繰り返して記憶を保持しながら中央実行系で色々な処理をする。
視覚から入った、文字情報は音韻符号化処理によって音声情報に変換され、内語反復のループを介して短期ストア(海馬)に入り、その後の処理は音声情報の場合と同じ。
中央実行系での意味理解は、長期記憶内のデーターベース(メンタルレキシコン)から必要な情報を取り出して、行われる。
というのが、大まかな言語処理の脳内での流れとなります。
この図から、いくつか気づく点もあります。
まず、メンタルレキシコンの存在が大きい事。
そしてインプットもアウトプットも「短期記憶」、「中央実行系」、「長期記憶」(CPU、内部記憶、外部記憶)の力を借りてメンタルレキシコンにアクセスし、意味理解と、イメージ変換を行っている。
語学の世界においては、語彙、文法、発音、文字と言った情報がこのメンタルレキシコンに蓄えられ、インプットにせよアウトプットにせよ、ここを使って処理をしているという事になります。
コンピューターと脳の活動で違うところは、圧倒的に記憶素子(神経組織)の数が違うところ、有機なのか無機なのか、と言った事なのだと思います。
確かに脳科学はまだ解明されていない部分もありますが、言語学と脳という限られた範囲であれば、この程度の説明が出来る位までは分かっていると解釈すれば良いでしょう。
(2010/04/30記)
誤記訂正、音韻ループ、音韻符号化の説明追加(2010/04/30改)
対比表の修正、音韻ループと音韻符号化の解釈について誤りを修正、言語理解システム図追加(2010/05/03改)
ニューロンの解説についてリンクを追加(2010/05/03改)
文書整形(2010/05/22改)
脳内処理の説明を全面的に見直し、解釈をより解りやすく説明(2010/05/29改)
表現の微調整(2010/06/12改)
|